最後の“つりかけ”たちへ
早朝の間内駅に到着した3400系&7300系。こんな併結シ−ンが見られなくなるのも、そう遠い将来ではないでしょう・・・(96・12・29撮影)
【「いもむし」の思い出】
「いもむし」に初めて乗ったのはいつのことだっ たろうか・・・。確か昭和48年頃であったと記憶しています。
母と姉の3人で、名古屋へ用事があって出掛けた 帰りに出会ったのが「いもむし」でした。
当時は4両編成で、塗装もクリ−ム地に赤い帯を 巻いた色であった事を覚えています。
急行列車か高速列車として(ちょっと記憶が曖昧 です。)、キイキイと甲高い車輪の音をたてて、地下の新名古屋駅に入って来
ました。
子供ながらに、「わあ。面白い形の電車!!」と 興味津々で乗り込んだ事を覚えています。
まだ、その当時は850系「なまず」との区別が つかず、とにかく流線型の電車に乗れたことが非常に嬉しく思っていました。
当時、新名古屋〜新鵜沼間の運賃は大人250円 。この運賃に母親は「250円なんて名鉄は高い!!」と呟きましたが、現在
は580円。運賃だけを考えてみても、歳月が本当に流れてしまったなあと実
感してしまいます。
そして、気がついてみると、次々と釣り掛け車両 たちは姿を消し、「いもむし」だけになっていました。
『仲間たちがいなくなって寂しいだろうけど、1 日でも長く!!頑張って走り続けてくれ!!何故なら、名鉄の今昔を知る生き
証人はもう・・・お前だけなのだから!!』
3400系「いもむし」の末永い活躍を願って止 みません。