《泰緬鉄道について》


【泰緬鉄道(たいめんてつ どう)】

第二次世界大戦中にビルマ・インド侵攻作戦の 陸上補給路として、バンコク近郊のノンプラドックからカンチャナブリを経由 して、ビルマのタンビザヤに至る総延長412.9Kmで計画された軌間1000 mmの軍用鉄道である。
タイ(泰国)とビルマ(緬旬)の両国の頭文字 を採って、泰緬連接鉄路と名付けられた。
この鉄道の大半はテナセリウムと呼ばれる世界 有数の多雨地帯をル−トとして採用し、現在の鉄道建設技術をもってしても、 数年の工期を要するにもかかわらず、当時の日本軍の命令は「1年で完成させ よ。」という常識を無視したものであった。
この命令を遂行すべく採られた手段は、捕虜、 現地労働者の大量動員というもので、栄養失調と熱帯風土病の蔓延により45,0 00人以上の犠牲者を生み、「死の鉄道」の名を歴史に残す事となった。
この劣悪な路線に対応させる機関車として、タ イ・マレ−向けに供出されていた日本製SL・C56形の大半が泰緬鉄道に集 中配置されることになった。
こうして1年有余で開通した泰緬鉄道も、イン パ−ル作戦失敗等による戦況の悪化によって、「補給線」からビルマからの「 敗残兵撤退線」へと様相を変えて行くことになるのであった。
戦後、国境地帯の線路は撤去されたが、1958年 までにナムトクまでの区間が復旧されて現在に至っている。

 (「Rail Magazine 155号」より引用)


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《笹間渡駅を通過するC11形312号機》