特別企画3 回想・「能登」での碓氷越え 〜JR信越本線・碓氷峠〜


<はじめに>

遂に長い歴史に幕を閉じた碓氷峠。もう終わりなんだなと思いながら部屋の本棚を探っていると1冊の薄汚れた小冊子が出てきました。

それは、今から6年前の冬。当時大学のゼミ旅行で能登半島へ出掛けた時の旅行記を私がワ−プロ打ちしてまとめたもので、20数ペ−ジにも渡る長編?旅行記でした。「懐かしいなあ・・・・」とあらためて読み返しているうちに、恥ずかしながらこのペ−ジで公開してみようと思い立ちました。内容としては、その旅行記(小冊子)のうち急行「能登」号の乗車記の部分だけを対象として、(個人名を除いて)原文そのままで掲載しております。

写真は1枚もない、完全な文章だけのペ−ジですが宜しければお読みください。


<平成3年2月28日>

長い階段を下って、ホ−ムを歩き、中央改札口へと向かう。この時、時計の針は18時ごろを指していた。誰かいるかなと思い、あたりをキョロキョロと見回していると、キヨスクの脇にKが1人で立っているのが目についた。彼と合流して、15番線ホ−ムの「能登」号の乗車場所に荷物を置く。そして、荷物の見張りを頼んで私はもう一度中央改札口へと向かう。何気なく改札口へ近寄ると、A達が改札口で話しをしている姿を見つけた。すぐに彼らを呼び寄せた。Rはアルバイトの都合上、遅れて来るとの事だったので、これでR以外は全員集合した。この時、時刻は18時15分。出発まであと2時間45分もある。その為、この待ち時間を利用してTさんの分の宿舎のキャンセルと指定券の払い戻しをする。また、ホ−ムのキヨスクをあちこちと回ったりして、時間をつぶすのであった。

20時を回る頃、Rがやっと到着した。これで全員集合したが、この時間帯になるとだいぶ「能登」号に乗車する他の乗客たちがホ−ムに集まり始めた。待ち時間が長い長いといっても、話しを色々としているうちに時間も20時半をあっという間に回ってしまった。そして、20時43分になると、ホ−ムの彼方から青色の車体に白のラインの入った9両編成の「能登」号が機関車に後押しされる形で、15番線ホ−ムにゆっくりと滑り込んだ。客車である為にディ−ゼルの発電機がうなりを上げていた。その音がホ−ム中に響き渡る。折戸式の扉が開くと同時に、車内に突入して座席を確保する。荷物をとりあえず片付けた後に、各自交代でキヨスクに食料を買いに行く為にホ−ムへと飛び出して行く。車内は急行列車にしては、とてもきれいでレベルは高い方のようだ。座席もリクライニング式でゆったりとしている。まずまずの車両と言っても良いであろう。

21時、金沢行きの急行「能登」号は、上野駅をゆっくりと出発した。これから終点の金沢まで、8時間46分の列車の旅が開始された。「能登」号は機関車が引っぱる客車列車である為に、発車する時に電車にはない独特の衝撃がある。ドアが閉まって、機関車の汽笛があって、しばらく間があってからいきなりドンと引っぱられる衝撃がある。これには、はっきり言ってびっくりさせられる。列車が発車すると、みんな缶ビ−ルや菓子・おつまみを開け出す。車内では、我々以外の多人数の旅行グル−プがいなかったようなので、我々だけが派手に騒いでいたみたいである。大宮・吹上(特急の通過待ち)・熊谷と停車して、22時42分に高崎に到着。ここでは7分停車して22時49分に発車する。また、ここから先は高崎線も終わり、信越本線へと入る。この間に、ホ−ムに降りてジュ−スの自動販売機へと向かう。AやWは米が食べたいと駅弁を買いたがっていたが、残念ながらこの時間帯になるともう駅弁は売られていないのである。

列車は、信越本線に入り、直江津を目指す。ここからは、車内放送が魚津まで中断される。信越本線に入るとスピ−ドがやや落ちる上に、沿線の風景も極端にさびしくなるような感じがする。23時16分、横川駅に到着。この駅は「峠の釜めし」という駅弁で一躍全国にその名を知らしめた駅である。しかし、時間が深夜なので勿論駅弁は売られておらず、駅前の「おぎのや」の建物の派手なネオンだけがやけに目立っていた。車内がやけに暖かいので、ホ−ムに出てみることにした。さすがに外は寒く、吐く息は白い。ここから先は、となりの軽井沢駅までの11.2Kmの距離をEF63形電気機関車の重連の後押しで進む。というのも、この先は1000分の66パ−ミル(1000m進むと66mの高さまで登るという事)という急勾配で、昔から有名だった難所の碓氷峠を越える為である。たったの1区間を補助の2両の機関車に後押しされて、18分もかけて登って行くのである。しかし、この区間も北陸新幹線が開通すると同時に廃止される方針で、「峠の釜めし」の駅弁と伴に消滅する運命にある。勿論この「能登」号も廃止となろう。後押しの補機がすごい衝撃で、列車の最後部に連結された。それをMが目前でじっと見ているのだが、その姿は11ヶ月前に私が同じこのホ−ムで同じ列車から降りて、カメラを片手に少年達が連結シ−ンを撮影している姿を見ているのと同じだなと感じた。8分停車で、23時24分、列車は前途危うい横川駅を出発。列車のスピ−ドはさらに落ちて急坂をゆっくりと登って行く。確かに登り坂だというのが、列車に乗っていてもよくわかる。横川を出てしばらくすると、いきなり室内灯が減灯された。確かに車内では、眠っている乗客もいたし、Wも眠たいと既に眠る姿勢でいた。急坂をいくつものトンネルでくぐりながら、登って行く。後押しをする2両の藍色の機関車が頼もしい。そして、ようやく碓氷峠を乗り越えて軽井沢駅に近づくと小雪がちらほらと降っているのに気づく。列車が通っていないレ−ルの表面は、雪でうっすらと白くなっている。

23時42分、軽井沢駅到着。ここでは、3分停車で後押しした機関車が切り離される。車内は静かなのに、酒の勢いもあってか、我々だけがまだ騒いでいる。他の乗客にはちょっと迷惑だったかもしれない。23時45分、軽井沢を静かに出発。我々もそろそろ眠ろうかと各々眠ることにする。列車は日付けを変えて直江津・金沢を目指す。金沢まであとは、あと6時間もある。短いようで長い汽車旅である。しかし、そうは体験出来ない夜汽車の旅、一度くらいは乗ってみても損はないと思うが、実際に乗ってみると実にしんどいもので、寝台車を利用したくなる。しかし、6,390円は高い。次は、小諸に停車する。


<平成3年3月1日>

日付けが変わって、3月1日の0時5分、小諸に到着。ここらあたりから、積雪が多くなってきたように感じる。みんな眠ろうとしているのだが、座席を2人分独占しても狭くて体を曲げねばならない上に、ひじ掛けなどが堅い為になかなか上手く眠る姿勢がとれず、悪戦苦闘していた。たまりかねて、タオルをひじ掛けに巻きつけて、それを枕にして眠る者もいた。「お前、足がくさいよ。」、「お前だって。」というやりとりを聞いてクスクスと笑う我々を他の乗客達はどういう目で見ていたのだろうか。

0時22分、上田着。広いホ−ムを照らす蛍光灯の下を歩く人影は全くなかった。「眠れない。」とムックリ起き上がり、交互にこの言葉を我々は連発していた。私はこのあたりから、ウトウトと眠り始める。0時36分、戸倉に到着。ハッと目が覚めて、車窓を眺める。線路脇には、うず高く雪が積もっていた。あたり一面銀世界である。早くも、この駅で降りて行く乗客の姿が見えた。まだ、寝つけない者が若干名いるようだ。0時46分に、篠ノ井に到着した後、0時57分、長野駅に到着。この駅では、機関車のつけ替えをするのか、9分停車である。この間に、ホ−ムに出て行くAやWの姿が窓の外に見えた。さすがに、大きな駅であることもあって、乗降する客が若干いるようだ。1時6分、列車は長野駅を出発。私は再び眠ることにする。列車は、このあと、1時50分に妙高高原、2時20分に、新井、2時38分に高田と停車する。妙高高原から直江津の間は記憶がないので、おそらく眠っていたのだろう。

直江津に到着する直前に目が覚める。複線だった信越本線もいつの間にか単線となっていた。右にカ−ブを切って、ゆるゆると直江津駅のホ−ムに入る。2時48分に到着。ここからは、北陸本線に入り、金沢を目指す。それと同時に、進行方向が逆になる為に、機関車をつけ替えるので12分停車することになっている。この間に、ホ−ムに降りてみることにする。若干下車して行く乗客がいるようである。今までは、我々が乗っていた1号車が最後部であったが、今度は先頭車となる。車内に戻ってみると、先頭の通路の窓が、まぶしいほどの照明で照らされていた。どうやら機関車のつけ替え作業が行われているようである。その照明は機関車のライトであった。ピィ−ッという警笛とともに、そのまぶしい光がさらに近づいてきて、目がチカチカするなと思っていると、急にドシ−ンとすごい衝撃で車両が揺れる。機関車が連結された。しかし、これ以降ほとんど眠ることが出来なくなってしまった。この時のAの不機嫌な顔が印象的であった。3時、信越本線に別れを告げるとともに、進行方向を逆にして直江津駅を発車する。

3時21分に能生(のう)、3時34分に糸魚川、4時1分に泊、4時7分に入善、4時19分に黒部と停車して行く。黒部を出発してしばらくすると、車内の室内灯が元に戻されて、車内放送が再開された。「おはようございます。」が再開の第一声だった。しかし、時刻は4時20分を回ったばかりで、外はまだ暗い。やっと寝つけたようであったAは、不快な顔つきで言い放つ。「おいおい、こんな真っ暗なのに、なんでおはようございますなんだよ。」

列車は、この先、4時25分に魚津、4時35分に滑川(なめりかわ)、そして、4時49分に富山と停車して行く。さすが、富山駅では真っ暗にもかかわらず、何人かの乗客たちが降りて行った。おそらく、立山・北アルプス方面への登山客たちであろう。はずれのホ−ムでは特急電車がすでに停車していて発車を待っているのが見えた。5時に小杉、5時8分に高岡、5時22分に石動(いするぎ)、5時34分に津幡と停車。この頃から、空が明るくなりはじめた。5時46分、終点の金沢駅にようやく到着。11ヶ月前に私が金沢駅のホ−ムに降り立った時は、古びたプラットホ−ムであったが、今では真新しい立派な地上ホ−ムにかわっていた。1年足らずで、ほとんど駅の形が変わってしまったようである。列車から降りた我々はとりあえず小さな待合室でひと休みすることにする。私は、ここでこれから金沢市内をどうやって観光するか、ル−トをさらに検討することにした。

<Fin>


<おわりに>

こんなハチャメチャな汽車旅から既に6年の歳月が流れ、気の合う仲間もそれぞれ社会に飛び出して行きました。もう、あの時の時間は戻って来ない・・・・。もし、戻れるのらもう一度力強いロクサンの雄姿を見たい!!そして咆哮を聞きたい!!・・・・と、それは叶わぬ願いとも判っていながら考えてしまいます。しかし、碓氷峠を越えた時の驚き、感動、楽しさは決して私の脳裏からは消えることはありません。最後にこの一言で締めくくりたいと思います。「さらば、碓氷峠!!この思い出は決して消えないよ!!」と。


非常に乱雑な文章でありますが、いかがでしたでしょうか?もし、感想等ございましたらメ−ルを頂けますと幸いです。宜しくお願い致します。

E-mail:kenbou@vc-net.or.jp

お粗末さまでした。Back to Top

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