第18回 時代の波が来ようとも・・・・ 〜名鉄モ700形&モ750形〜


<はじめに>

名鉄旧型車最後の砦ともなっていた揖斐・谷汲線ですが、今年4月の新型車(モ780形)投入により名鉄の長老ク2320形が廃車となるなど、いよいよこの最後の桃源郷にも近代化の大波が押し寄せて来ました。
この近代化により生き残った旧型車の仕事場は僻地にラッシュ時のみにと大幅に狭められ、残念ながらそろそろカウントダウンが始まったと考えてもおかしくないように思えます。
今回は近代化という時代の大波を被りながらも懸命に仕事をこなすモ700形とモ750形を眺めてみたいと思います。


モ700形(1)


朝の3連運用を終えて黒野駅に到着したモ700形。現在はラッシュ時を中心に活躍中です。<97-05-02黒野>


<モ700形について>

昭和2年、日本車輌製。
元は旧名古屋鉄道(のちの名岐鉄道)のデセホ700形です。当時は名古屋市電に乗り入れていたため、屋根の中央にパンタを両端にはポ−ルを付けていました。
総勢10両の形式でしたが昭和39年に701・705が福井鉄道へ、707〜710が北陸鉄道へと譲渡されたほか、706は火災により廃車となっています。残った3両は昭和42年に片運転台化されて瀬戸線で活躍をしていましたが、現在では703、704の2両が残り揖斐線で活躍を続けています。
しかし、次期の新車投入によりどのような処遇を受けるのか注目される車両となっているようです。


モ750形(1)


黒野駅で出発を待つモ750形。隣には新鋭モ780形の姿が見えます。<97-08-03黒野>


<モ750形について>

昭和3年、日本車輌製。
旧名古屋鉄道のデセホ750形として10両が製作されました。モ700形と全く同じ形態をしており、車輪の径が異なるほかは大きな違いは認められません。一部の車両は国鉄高山本線の直通列車にも使用されたことがありました。
759・760は自動扉付きで登場し、のちに758も自動扉化されましたが、昭和19年には手動扉に改造されています。昭和39年に760が火災により廃車になったほか、昭和45年には753・757が廃車となっています。また756は昭和44年に制御車に改造されてク2150形(既に廃車)に改番されています。
モ700形同様に西部線昇圧後は各地の支線を転々としていましたが、現在では6両がワンマン改造を受けて揖斐・谷汲線で活躍を続けています。しかし、新型車両の投入により何らかの影響を受けるものと思われます。


モ700形(2)


今は亡きク2320形を牽引しながら早朝のラッシュ輸送を行うモ700形です。<96-12-21尻毛>


モ750形(2)


側線に留置されているモ510形を横目に本揖斐へと出発して行くモ750形です。<97-05-02黒野>


<モ700形・モ750形の運用>

新型車モ780形の投入によりモ700形・モ750形はともに活躍の場を狭めらてしまい、忠節近辺に顔を出すのは平日朝のラッシュ時3連運用ぐらいとなってしまいました。かろうじて黒野から本揖斐・谷汲方面への運用にはモ750形がワンマン単行で奮闘を続けていますが、次期の新型車増備後もこの体制が保たれるかは微妙な感じもします。


モ700形(3)


曇天の中ク2320形を連結して伊自良川鉄橋を渡るモ700形です。<96-08-13旦ノ島〜尻毛>


モ750形(3)


谷汲線で運用に就くモ750形です。車内には数人の行楽客が乗っていました。<96-12-21谷汲>


モ700形(4)


臨時ダイヤが組まれた谷汲線を走行するモ700形の車内です。地元客のほかに行楽客の姿がちらほらと見えました。前方に制御車ク2320形を連結しているために上り坂ではグンと速度を落として釣り掛けモ−タ−音が悲鳴を挙げるかのように唸っていました。<97-01-18谷汲線走行中のモ700形車内にて>


モ750形(4)


真夏の早朝の谷汲線を釣り掛け音を唸らせながら走行するモ750形の車内です。他に乗客が1人も乗っていないためか、狭い車内がかなり広く感じてしまいます。左右に一斉に揺れる吊り手、木製の壁、木製の床、色褪せた手すり、落とし窓には古き良き時代の田舎電車を彷彿とさせます。<97-08-03谷汲線走行中のモ750形車内にて>


<最後に>

新型車の投入によって長年苦楽を共にしてきた老雄ク2320形に先立たれた後、細々と活躍を続けてきたモ700形・モ750形ですが、次の新型車投入ではいよいよ運命の時を迎えるかもしれません。
出来ればこんな予測は大ハズレとなって欲しいと思ったりしますが、近代化という時代の波は確実に近づいて来ているのも確かだと思います。
1年前のある晴れた冬の昼下がり、本揖斐から戻ってきたモ750形を黒野駅のホ−ムでカメラを構えて狙っていると地元のお婆さんが「仕事とは言え大変だねえ。」と声を掛けてくれました。(どうやら私をプロのカメラマンだと思ったらしい。)私は「趣味で写真を撮っているんですよ。」と答えると、「へえ−、そうなの。」とニッコリと話してくれました。
電車が到着すると、そのお婆さんは靴を脱いで運転席の方を向き正座して出発時間を待つのでした。こんな古い時代遅れの電車でも生活の一部として利用している人がまだまだいるんだなと実感した光景でした。
残された老兵が1両でも生き残っている限り、その活躍をじっと見続けてやりたいと思います。たとえ時代の波が来ようとも彼等の活躍を必要としている人々がいるのだから・・・・


モ700形&モ750形


引退迫るク2320形(左)を牽引するモ700形(中)とモ750形(右)が早朝の伊自良川鉄橋を渡って行きます。旧型車の楽園は刻一刻と終焉の時を迎えようとしています。<97-01-18尻毛〜旦ノ島>


お粗末さまでした。Back to Top

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