第17回 消える三条の軌道 〜京阪電鉄京津線〜


<はじめに>

路面電車とはまたひとあじ違った雰囲気を持った京津線の存在を知ったの実はごく最近のことでした。
京都出身のとある知人から「京津線は軌道線なんだけど地下鉄が出来るので廃止されるんだ。」という一言でした。
その知人の発言以降、軌道線と言えば名鉄岐阜市内線ぐらいしか知らなかった私にとっては京津線ってどんな路線なんだろうか?と日に日に興味を持つようになって行きました。
廃止が近づくにつれ、雑誌などでも京津線が頻繁に取り上げられるようになり、私の京津線への好奇心?もだんだんと高まり、遂に今回初訪問が実現しました。
おそらくこれが最初で最後の京津線訪問となるでしょうが私なりに探訪レポ−トをまとめてみました。どうぞ御覧ください。


蹴上駅のポ−ル

道路の真ん中に蹴上駅の駅名標と時刻表を取り付けたポ−ルがひときわ高く天を突いています。<97-09-13蹴上>


<京津線と車両について>

京津線は京津三条駅を起点に石山坂本線が接続する浜大津まで11.1Kmを結ぶ全区間複線電化の路線です。三条〜蹴上付近などが併用軌道区間になっているほか、急勾配急カ−ブが続く区間が存在するのが特徴となっている路線です。
もとは大正元年に京津電気軌道として開業したのが始まりで、その後、大正14年1月に京阪電気鉄道(初代)に合併され現在に至っています。10月12日に地下鉄東西線が開業するのに伴い、10月11日の営業運転を最後に京津三条〜御陵間が廃止される事になっています。
車両は軌道線を走行するためやや小ぶりな80系と600系の2種類の車両が使用されています。
80系は旧来の旧形車両の置き換えを目的に昭和36年に登場しました。併用軌道区間にある低床ホ−ムに対応するため、扉と連動するステップを有する三扉車となっています。当初は単行の両運転台車でポ−ル集電でしたが、現在は2両固定化パンタグラフ化が行われているほか、平成元年からは冷房化工事も施され車内のロケ−ションも一段と向上しています。なお駆動方式は旧性能の釣り掛け式となっています。運用については日中は専ら普通電車として三条〜四宮間を往来しています。
一方600系は京津線の冷房化と高性能化を推進する目的で昭和59年に4編成8両が登場したのが始まりです。2両固定編成で前面は非貫通型の2枚窓となっています。この車両の特徴としては急坂急カ−ブで速度制限箇所の多い路線に対応するため定速制御機能が取り付けられています。現在は専ら京津三条〜浜大津間の準急電車として運用されています。


蹴上駅に到着した80系

信号待ちの自動車の列が出来る道路真ん中の蹴上駅に到着した80系。乗客が電車から一斉に停留所に降り立ちます。<97-09-13蹴上>


蹴上駅を出発する80系

残暑厳しい昼の日差しを浴びながら蹴上駅を出発していく80系電車です。<97-09-13蹴上>


<京津線訪問記〜三条駅〜>

地下深くにある京阪本線の三条駅を出て地上に出ると目的の京津線・三条駅がありました。
改札口を通って駅構内に入ると既に小ぶりな電車が2両連結で止まっておりました。止まっている電車は浜大津行き準急電車で、まずは噂に聞いている撮影名所の蹴上駅へ向かうつもりでいた私は次発の普通電車を待つことにしました。(蹴上駅は準急通過なのです。)
さてその準急電車が出発してからしばらくすると大きくカ−ブした軌道線の上をソロソロと2両連結の電車がやって来るのが見えました。折り返しの四宮行き普通電車です。車両は80系という形式の電車で車体を見る限りでは新性能車のように見えますが、実は釣り掛け駆動の旧性能車となっています。
立ち客が出るほどの大勢の乗客を反対側ホ−ムの扉からどっと吐き出してから私達が待つホ−ムの扉が開かれます。三条から乗車する人も結構いるようで車内のロングシ−トはあっと言う間に乗客で埋まりました。
出発時刻となると肩口から茶色っぽい鞄を掛けた車掌さんが笛をひと吹きして扉を締めます。そして、ここで印象的だったのが発車の合図が電鈴を使用していることで、「名鉄以外でもあったんだ!!」とちょっと嬉しくなってしまいました。
それにしても廃止が間近という路線に何も変わらないというような雰囲気で乗車してくる地元の人たちの姿は私の目には実に印象的に映りました。


九条山への急勾配に挑む600系

大きくカ−ブを切りながら九条山への急勾配に挑む浜大津行き準急電車です。<97-09-13蹴上〜九条山>


蹴上の上り坂を上る80系

蹴上の上り坂を登る80系電車です。<97-09-13東山三条〜蹴上>


蹴上駅で行き違う600系

上下の準急列車が行き違います。軌道線ながら結構なスピ−ドで通過して行きます。<97-09-13蹴上>


<京津線訪問記〜蹴上駅〜>

三条駅から80系電車に揺られることしばし。上り坂途中の急カ−ブ入り口で電車が止まりました。どうやら目的地の蹴上駅に到着したようです。
乗り慣れた地元の人の列に続いて車掌さんに乗車券を渡して降り立つと何と道路の真ん中に路面電車そのまんまの停留所が!!
軌道線なので大体の想像はついていたのですが、いざ実際に降りてみると「すごいところだなあ!!」と驚いてしまいました。
停留所そばの横断歩道が青信号になるのを待ってから道路を横断してあたりをひととおり見回してみました。なるほど確かに電車の撮影にはいい場所だなと思いながら撮影場所を物色することにしました。
既に蹴上駅周辺には私と同様にカメラを携えた人の姿があちこちで見掛けることが出来ました。そばで撮影している人に「どちらから?」と訪ねると「豊橋から・・・・」という答えが返ってきました。
私は季節はずれの炎天下の中で約2時間かけて色々な角度から蹴上駅にやって来る電車を撮影し、再び蹴上駅から四宮行きの電車に乗り込みました。
なおこの後、浜大津からの帰りに三条行きの電車に乗りましたが、蹴上駅からたくさんの通学の高校生?の集団が乗り込み、一瞬にして車内は大混雑。「なんちゅう事だ!!」と思いながらふと外を見るとその高校生の一団を撮影する人たちの群れが見えました。「なるほど、みんなこのシ−ンを狙っていたのか!!」と思っているうちに電車は蹴上げ駅を出て行くのでした。


九条山の坂で行き違う80系と600系

九条山の坂で四宮行き普通電車(左)と三条行き準急電車(右)が行き違います。<97-09-13九条山〜日ノ岡>


九条山駅に到着した四宮行き普通電車

急坂を登り切り九条山駅に到着した四宮行き普通電車です。<97-09-13九条山>


九条山の坂を登る80系

蹴上からの急坂をカ−ブを切りながら登る80系電車です。<97-09-13蹴上〜九条山>


<京津線訪問記〜九条山駅〜>

九条山駅(無人駅です。)は山の上と言うか峠のてっぺんにあるような駅に思えました。
いずれの方向も上り坂となっていてしかも蛇行したカ−ブを電車が登って来るので、これまた電車の撮影には絶好の場所のように見えました。特に蛇行したカ−ブで上下の列車が行き違う光景は本当に素晴らしいものでした。
それだけの場所であるので、ここにも当然カメラを持った人たちの姿があちこちで見えました。中にはテレビの中継かと思えるような大きなビデオカメラを抱えた人までおりました。
私も電車の撮影をしている人たちの中に入り思い存分撮影をしました。このような絶景地が廃止されてしまうのは本当に残念でなりません。


四宮駅の側線に留置される80系

四宮駅構内の側線に留置される80系です。日中の普通電車は全て四宮止まりとなっています。<97-09-13四宮>


浜大津駅を出発した三条行き準急電車

浜大津駅を出発した三条行き準急電車です。<97-09-13浜大津〜上栄町>


浜大津駅に到着した600系

終点の浜大津駅に到着した準急電車です。<97-09-13浜大津>


石山坂本線の電車

浜大津駅では京津線と石山坂本線が接続します。石山坂本線には異色の広告塗装車両が運行されています。<97-09-13浜大津〜三井寺>


三条駅で出発を待つ80系

起点の三条駅で出発を待つ普通電車の四宮行きです。<97-09-13三条>


<おわりに>

京津線は地下鉄東西線の開通により10月11日を最後に三条〜御陵間が区間廃止されます。
昔懐かしい軌道線区間も殆どが消滅してしまうのでしょうが、かつての路面電車が自動車に追いやられて廃止されるのとは違い京都の将来を地下鉄に託して一歩前進の為に廃止されるものだと私は考えます。
今回の廃止を悲観的に捉えずに、今日までの長い活躍を労いながら最後の日まで暖かくこの軌道線を走る電車たちを見守ってやりたいと思います。
さらば!!三条の軌道!!


お粗末さまでした。Back to Top

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