第14回 川の流れに沿って 〜新潟交通〜


<はじめに>

(出札係りのおばさん)「何で今の電車に乗らなかったの?」、(私)「あ・・・。写真を撮っていたものですから。」
(私)「あの〜、もうすぐ廃止になるって聞いたんですが?」、(出札係りのおばさん)「う〜ん・・・。よくわかんないけどねえ。まだ、はっきりと決まった訳じゃないんだけど・・・。でも全部がなくなるんじゃないけどね。」
(私)「そうですか・・・。え〜と、白山前まで。あ、それからこの記念入場券もひとつ・・・。」、(出札係りのおばさん)「(記念入場券は)よく見てから良ければ買ってちょうだいね。それから、この乗車券ね、終点で記念にくださいって言ってみて。無効印を押してくれるはずだから。」
(私)「有り難うございました!!」
上の会話は今を遡ること、6年前の平成3年9月10日。新潟交通燕駅の出札窓口での事でした。
こんな所でこの様なやりとりしていたというのは、折しも併用軌道区間の東関屋〜白山前間、燕〜月潟間の廃止が表面化したため、廃止になる前に1度は乗っておかなければと思い、上越新幹線の1番列車で現地に乗り込んだのでした。
あの最初の訪問から6年。その間に東関屋〜白山前間、燕〜月潟間は廃止され、残存した東関屋〜月潟間での営業が存続されてきましたが、最近になってその残存区間も全廃という話が浮上してきています。
今回は前途危うい新潟交通の現状を確認する為、再訪問しましたので、6年前の初訪問の思い出とともに御紹介したいと思います。


東関屋駅にて


白山前駅へと続いていたと思われるレ−ルはプッツリと途切れていました。<97-06-01東関屋>


<新潟交通について>

車庫のある東関屋から月潟まで21.6Kmの全線単線の電化路線です。
昭和8年、東関屋〜白根、東関屋〜県庁前、白根〜燕の順に開業させて、燕〜県庁前間36.1Kmの路線が開通しました。当時は新潟電鉄を名乗っていましたが、戦時中の交通統制でバス会社・新潟合同自動車と合併して新潟交通と社名が変更されました。
路線は中ノ口川に沿って走っています。中ノ口川は信濃川の分流で、水上交通が発達していて、かつては蒸気船が人や米を載せて往来していました。新潟交通はこの蒸気船に代わる交通手段として建設されたのでした。
同線は東関屋〜白山前間の2.2Kmが併用軌道であったため、専用軌道から道路上に出る地点に鉄軌分界点を設置し、同地点から燕方は鉄道法、白山前方は軌道法に準拠していました。
路線自体はもともとロ−カル輸送の色彩が濃かった為、CTC・ワンマン化の合理化を図る一方、増発や割引回数券の発行といった営業努力が実施されたものの、利用者減少に歯止めがかかりませんでした。そのため、狭小な併用軌道がネックだった東関屋〜白山前間が平成4年3月19日限りで廃止されたのに続き、特に利用の少なかった燕〜月潟間も平成5年7月31日限りで廃止となり、残った東関屋〜月潟間で営業が続けられています。
しかし、現存の区間も経営状態が思わしくなく、最近になって全廃の話が持ち上がっています。


東関屋駅改札口


東関屋駅の改札口の様子です。駅舎は綺麗にリニュ−アルされていました。駅構内には電動貨車モワ51形の姿が見えました。<97-06-01東関屋>


<訪問1〜東関屋駅〜>

JR新潟駅前から東関屋駅行きのバスに乗り、およそ20分あまりで終点の東関屋駅前に到着しました。途中、かつての併用軌道区間を通りましたが、風格のあった駅舎は完全に取り壊されていました。軌道跡がアスファルトで舗装されていて、それが帯のように道路の中を通っているのに僅かながら鉄道時代の面影を感じる程度でした。
さて、東関屋駅舎はどうやら改築されたようで、随分と立派な駅になっています。駅前はバスのロ−タリ−になっていて、バスの待合室も兼ねているようでした。駅舎にはコンビニエンスストアも併設されていて、利用客にとっては便利かもしれません。
駅構内には車庫があり、構内には電動貨車モワ51形、ラッセル車キ116形、元小田急のモハ2220形のほか、黄土色に緑色のツ−トンカラ−の在来車も何両か留置されていました。
発車時刻が近づくと構内放送が流れ、改札開始の案内が放送されます。それと同時に駅員さんが改札口にやってきました。私は休日のみに発売される1日フリ−乗車券(1,030円)を購入し、ひとまず白根行きの電車に乗り込み、白根駅まで行くことにしました。


電動貨車モワ51形


新潟交通の名物車両のひとつ電動貨車モワ51形。現在は貨車を牽引することは無くなったようですが、冬場に出動するラッセル車の動力車として活躍しているようです。<97-06-01東関屋>


東関屋駅構内


東関屋駅の構内です。構内には車庫があり、ラッセル車のキ116形や元小田急のモハ2220形のほか、何両かの電車が留置されていました。<97-06-01東関屋>


<訪問2〜白根駅〜>

1両のワンマン電車は20人ほどの乗客を乗せて東関屋駅を出発しました。休日の日中にしては結構乗客がいるように思えました。最初の途中駅でも何人か乗客がありましたが、やはり先へ進むほど乗客は減っていきました。
途中には交換可能で駅舎も残っている駅がいくつかありましたが、全て無人となっていました。どうやら現在は駅員の配置時間が設定されているようでした。
釣り掛けモ−タ−音を響きわたらせながら力走することおよそ30分ほどで終点の白根駅に到着。白根まで乗ってきた乗客は10人程度でした。かなり古びてはいましたが、他の駅に比べると立派な駅舎で中から駅長さんが出てきて、我々乗客を迎えていました。
ホ−ムは対向式で、我々乗客を降ろした電車は一旦ドアを閉じて月潟方面のポイントの所まで行き、引き返して来ると東関屋方面のホ−ムへと入ってきました。行き先表示板も既に「白根行」から「東関屋行」に換えられています。
そんな光景が繰り広げられるなかで、その傍らには制御車クハ46形が側線に留置されているのが見えました。電動車のモハと比べるとゴツゴツとした感じで正面にはリベットのボツボツも見えました。おそらくラッシュ時にモハと併結して運行されるのではないかと思います。
さて、この先月潟行きの電車が来るまでには40分も時間があったので、駅のまわりを1周して再び駅に戻ってくると待合室の隣の物置になにやら自動販売機のようなものが何台も雑然と置かれているのが見えました。中をのぞき込んで見ると、「燕」や「白山前」という文字がみえるではありませんか!!どうやら廃線となった駅の自動券売機を集めて、ここに持ってきたようです。何だかちょっぴり悲しい光景でもありました。
待合室で待つことしばし、月潟行きの到着時刻が迫るとここでも構内放送がかかりました。改札口を通り、ホ−ムで暫く待っていると1両の月潟行き電車が車体を揺らしながらやってきました。中にいた乗客は4〜5名ほどで、白根からの乗客は私を含めて5名程度でした。そして、この中には私のような「鉄」な方もおられました・・・。さあ、最終目的地の月潟駅へ出発です!!


白根駅に留置されるクハ46形


白根駅の側線に留置される制御車クハ46形。ラッシュ時間帯に電動車モハと併結して運用されるようです。最近再塗装が施されたのでしょうか、随分とピカピカしていました。<97-06-01白根>


出発を待つモハ11形


白根駅で出発を待つ東関屋行きのモハ11形。<97-06-01白根>


運転風景


月潟行きの電車内の運転風景。車両はワンマン改造が施され、ワンマン運転で走っています。運転士さんはインカムを付けて運転をしていました。<97-06-01千日〜曲>


月潟駅の風景


終点の月潟駅に到着しました。かつてはここから先、燕まで線路が延びていました。レ−ルは構内のはずれでプッツリと切られていました。<97-06-01月潟>


<訪問3〜月潟駅〜>

白根から3つ目の駅が終点の月潟駅です。この区間は中ノ口川にピッタリと沿って走るので、線路は右へ左へとカ−ブが連続していました。その為、電車も減速・加速を繰り返すので、釣り掛けモ−タ−音が実によく響き渡っておりました。
白根からおよそ7分で終点の月潟駅に到着。かつては交換駅でしたが、燕までの路線が廃止後は、燕方面のレ−ルは撤去されて片側一線の駅になっていました。燕まで延びていたレ−ルも構内のはずれでプッツリと切られていて、非常に侘びしい光景でありました。
駅舎には誰もおらず無人の状態となっていましたが、時間帯によっては駅員さんが駐在するらしく、出札窓口にはカ−テンが引かれていました。このような光景を見ているうちに、6年前に訪れた時は駅を守る委託?のおばさん駅長??が私の乗った電車をホ−ムに出て迎えてくれた光景が甦ってきました。
電車は8分間の停車ですぐに折り返し東関屋行きとして出発してしまいます。私は限られた時間の中で何枚か写真を撮っていましたが、ふと駅舎の傍らに池が作られていて、その中を大きな金魚が泳いでいるのを見つけました。それを見ているうちに衰退の一途を辿る鉄道とは対照的な金魚の元気な姿が実に印象的に見えました。
発車時刻となると電車は私を含めて僅か6人の乗客を乗せると「ファ−ン」と警笛を一声して月潟駅を後にしました。私は月潟駅の駅舎が小さくなっていくのをじっと見つめていました。月潟駅で見送ってくれたおばさん駅長の姿を思い出しながら・・・


以下は廃止となった燕駅と白山前駅の写真です。現役当時の光景を御覧ください。

燕駅待合室


燕駅待合室での写真。手書きの時刻表や手動式の発車時刻案内表示器が目を惹きます。地元のお年寄りが電車に乗るわけでもなく、じっとベンチに腰掛けて時を過ごしていました。<91-09-10燕>


燕駅でのモハ25形


かつての終点であった燕駅ホ−ムでの写真。白山前からやってきたモハ25形です。折り返し白山前行きとなりますが、利用客は私を含めて僅か3人でした。<91-09-10燕>


<回想1〜燕駅のホ−ムに立ったあの時〜>

朝1番の上越新幹線で燕三条まで、さらに弥彦線に乗り換えて燕駅までやって来ました。JRの改札口を出て駅前に出てみるとJRの駅舎の隣に新潟交通の駅舎がありました。しかし、誰1人としてその駅舎に入ろうとする人はいませんでした。
「やはり乗る人がいないんだなあ。」と思いながら、早速写真を撮り始めました。駅舎内の待合室のベンチには地元のお年寄りが腰掛けている姿が見られたものの、電車に乗るわけでもなく、じっと時を過ごしているように見え、その姿は実に印象的でした。
私が到着したときに、ちょうど9:00発の白山前行きが出発するところでしたが、じっくりと写真を撮りたいと思っていた私は次の電車に乗ることにしました。次の発車は9:39と比較的待ち時間が短いこともあったからでした。
9:00発の電車が出発して行くと、出札窓口で事務をしていた係りのおばさんが鉄の棒のようなものを取り出して、その棒を発車時刻案内表示器の下側に突っ込んでグリグリと回しています。10の位の「0」が「3」に、1の位の「0」が「9」に変わって、次の発車は9:39と変えられていました。「おお!!すごいな。全部手動なんだ。」と何だかとっても面白いものを見させてもらったような気分でした。
そして、やれやれといった感じで出札窓口に戻ってきたおばさんから切符を購入すると同時に、色々と話しをするのでした。
さて、いよいよホ−ムへと向かいます。確か跨線橋を渡って新潟交通線のホ−ムへ向かったと記憶していますが、ホ−ムはJRとの共用で、2番線弥彦線東三条方面と3番線新潟交通線が共用ホ−ムになっていたように思います。その共用ホ−ムには他にも何人か乗客がいましたが、私以外は皆2番線の方を向いているどころか、到着したJRの列車から降りてきた乗客も全員改札口の方へと向かってしまい、1人として新潟交通に乗り換える乗客はいませんでした。利用客がいないという厳しい現実を見せつけられた光景でした。
「(新潟交通に乗る乗客が)誰もいないなあ。」と思いながらも、構内の側線に留置されている制御車クハの写真などを撮りながら待つことしばし、黄土色と緑色のツ−トンカラ−の電車が1両でやって来ました。僅か数人の乗客が降りてきて、その乗客たちもあっと言う間にどこかへと姿を消してしまい、再び私1人だけになってしまいました。
やって来た電車の外観や車内の撮影をして出発を待っていると、ようやく地元のおばさんが1人乗り込んできました。なにやら窓がうまく開けられないというので、手伝ってあげたついでに、「電車がなくなるというので千葉から来ました。」と話しかけると、「新潟までは燕からバスが出ているし、電車じゃ時間もお金もかかるしね。仕様がないでしょ。乗らないんだから・・・」と話してくれました。
電車は僅か3人の乗客を乗せて燕駅を出発しました。釣り掛けモ−タ−を唸らせ、ダトトトン、ダトトトンとせわしなくレ−ルの継ぎ目をたたいて行きます。線路は田園地帯の中を通っているので、稲穂のもみがらが開けた窓からわっと舞い込んできました。


白山前に到着したモハ25形


今は亡き軌道線の白山前駅に到着したモハ25形です。電車のすぐ横を自動車が次から次へとかすめて行きます。電車が申し訳なさそうに停車している姿は寂しい光景でした。<91-09-10白山前>


軌道線一望


当時の軌道線の線形を一望します。それにしてもこうあらためて見ていると狭い上にこんなに交通量の多い道路上をよく電車が走れたものだと思えてなりません。<91-09-10白山前>


<回想2〜白山前駅を一望して〜>

燕駅を出るときは僅かな乗客しかいなかった電車も先へ進むに連れて乗客が増えて行きました。車庫のある東関屋駅に到着する頃には、座席はほぼ埋まっているほどでした。
さて、電車は東関屋駅を出ると併用軌道区間へと進んで行きます。単線とはいいながらも、住宅街の非常に狭い道路上を通っているので、今までスイスイと走ってきた電車もノロノロと徐行運転で進んで行きました。
併用軌道区間をおよそ10分かけて進んで行くと、ようやく終点の白山前駅に到着しました。
改札口で燕駅の出札係りのおばさんに言われた通りに、乗車券を貰うために「記念に欲しいんですが。」と言うと、「どうぞ。」とあっさりと答えが返ってきました。無効印が押されるものだと思っていた私は、あまりにあっさりとした返答に拍子抜けしてしまいました。
私は駅舎を出て、近くの歩道橋へと駆け上がり、白山前の駅舎にピッタリと寄り添うように停車している電車や併用軌道が通っている国道の写真を撮りました。必ずやこの写真が役に立つ時が来ると確信しながら。
撮影が一段落すると私は次の目的である蒲原鉄道に乗車するため、後ろ髪を引かれるような気持ちを押さえて一路新潟駅へと急ぎました。


お粗末さまでした。Back to Top

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