第12回 復活運転の立役者たち 〜大井川鉄道C11227&C11312〜


<はじめに>

大井川本線系に5両もの蒸気機関車を保有する大井川鉄道。
全国で最も盛んに蒸気機関車の復活運転が行われていることで有名な鉄道ですが、元旦の1月1日を除けば毎日運行され、他の鉄道よりも比較的気軽に乗れるためにいつしか頻繁に通うようになっていました。
この鉄道の魅力は蒸気機関車のみならず、牽引される客車にもあり、国鉄を引退した非常に歴史を感じさせる旧形客車が使われています。
今回は、このように一言では言い尽くせないほど数々の魅力を持った大井川鉄道で今なお復活運転に奮闘しているC形タンク蒸気機関車2両を御紹介したいと思います。


千頭駅でのC11227


3両の客車を牽引して千頭駅に到着したC11227<97-05-01千頭駅>

<C11227について>

昭和17年9月、日本車輌製。
車両完成後、北海道苗穂機関区に配置され、以降、昭和50年に廃車となるまで追分機関区苫小牧支区、釧路機関区などと渡り歩き、一生涯を北海道の路線で活躍した生粋の「道産子」機関車です。
国鉄現役時代の晩期には前述の通り釧路機関区に配転され、昭和50年の廃車まで標津線で活躍をしていました。
昭和45年以来、蒸気機関車の保存運転に取り組んできた大井川鉄道は、昭和50年春に大井川本線上での蒸気営業運転を決定し、検討に検討を重ねた結果、最も適した機関車としてC11227を選定し、運輸省や国鉄などと折衝を進めることとなりました。
その結果、同年11月に大井川鉄道への入線が実現し、約半年の時間をかけて整備・修繕が行われた後、昭和51年7月9日、ついに急行「川根路」号の牽引機として復活を遂げました。
以来、20年が経過した今日もなお衰えを見せることなく、第一線での活躍を続けています。


千頭駅でのC11312


C11312にも桜の咲く季節には「さくら」のヘッドマ−クが取り付けられて運行されました。<97-03-30千頭駅>

<C11312について>

昭和21年1月、日本車輌製。
大井川鉄道では唯一の戦後生まれの蒸気機関車です。車両完成後、仙台機関区へ配置され、およそ10年の間、仙台地区の路線で活躍をしていました。
昭和31年9月には会津若松運転区へ配転され、以降、昭和50年に廃車となるまで会津線や只見線で活躍を続けていました。
廃車後は三重県松阪市のドライブインに静態保存されていましたが、ドライブインの移転に伴い、昭和63年3月に大井川鉄道に入線することとなりました。
長らくの静態保存のわりには車体の状態が良かった為、およそ4ヶ月の整備・修繕によって動態に復し、昭和63年7月23日には復活運転が開始され、現在に至っています。


C11227の運転室内


C11227の運転室内です。色々な機器が並んでいます。それにしても運転室内は無茶苦茶暑いです。夏場は想像を絶する暑さになるものと思います。<97-05-01千頭駅>

<大井川の蒸気を見つめて>

昭和50年、北海道を最後に蒸気機関車が全て姿を消した直後にいち早く復活運転に取り組んだ大井川鉄道。
この復活運転も早や20年を経過し、乗車人員も既に300万人を突破したとのことです。
復活運転を続けている機関車はいずれも昭和初期に誕生したものばかりで、流石に牽引力などが落ちてきているようですが、それでも大事に整備されながら毎日川根路をのんびりと走る光景が見られます。
牽引される客車も古めかしいものばかりですが、かえってそれが蒸気機関車とよく合っていて、絵になるように思えます。1日でも長くこの雄姿を見続けられることを私は願って止みません。
「頑張れ大鉄SL!!」


神尾駅通過中のC11227


喘ぎながらも峠を登り切り、山間の小駅を通過するC11227。SL復活20周年の記念ヘッドマ−クを誇らしげに掲げ颯爽と走り去って行きました。<96-09-24神尾駅>


逆機運転のC11227


団体客輸送の任務を終えて逆機運転で新金谷機関区へ引き返すC11227。「よっしゃ!!帰るぞ!!」と気合いを入れるかのようにファ−ッと蒸気を吹き出しました。<96-11-09家山〜大和田>


第一橋梁通過中のC11227


左へカ−ブしている第一橋梁を行くC11227。有名撮影地のためいつでも三脚を立てて待ちかまえるSLファンの姿をよく見掛けます。<97-05-01抜里〜笹間渡>


下泉駅に入線するC11312


トンネルを抜けてやって来たC11312。この日は5両の客車を牽引していましたが、この中にはお座敷客車も連結されていました。<97-05-01下泉駅>


<蒸気機関車ひとことメモ>

「C形・D形って?」
蒸気機関車の呼び方でC形とかD形と呼ばれる機関車がありますが、これは動輪の数をアルファベットで表しています。
動輪の数が3つならC形、4つならD形となります。勿論この他にもB形とかE形という機関車も存在していました。
日本では主に旅客用にはC形、貨物用にはD形の蒸気機関車が使用されていました。これは動輪の直径が小さい機関車であるほど力が強くなるので、軽い旅客列車をC形が、重い貨物列車をD形が牽引するようになったわけです。
尚、大井川鉄道に在籍している蒸気機関車はすべてC形です。

「タンク形・テンダ−形って?」
蒸気機関車にはタンク形とテンダ−形の2種類があります。
「タンク形」とはボイラ−の両側にある水タンクと運転室後方にある水タンクに水を積み、また同じく運転室後方の水タンクの上に石炭を積む構造になっている機関車のことをいいます。
但し、水・石炭ともに積載量が少ないために、短距離しか走れない上、機関車自体に水・石炭を積むので、消費していくうちに機関車が軽くなり、レ−ルと動輪の摩擦が小さくなって重い列車を牽引出来なくなるという欠点があります。
一方、「テンダ−形」は機関車後方に石炭と水を積む炭水車(テンダ−車)を連結している機関車のことをいいます。
このタイプの蒸気機関車は水・石炭をたくさん積むことが出来るので、一度積めば長距離を走行することが出来ます。その為、主な路線の長距離列車は全てテンダ−形機関車が使われていました。
尚、大井川鉄道の蒸気機関車では、C10・C11・C12形はタンク形。C56形はテンダ−形となっています。

C5644のテンダ−車


C5644のテンダ−車(炭水車)。C56形は大型の蒸気機関車が走ることの出来ないロ−カル支線で、比較的長距離を走るためにC12形をテンダ−形に改造した形で登場しました。ロ−カル支線には転車台(タ−ンテ−ブル)の無い所が多かったので、バック運転の為にテンダ−車の両側が切り取られた形になっているのがC56形の特徴です。<97-03-30下泉駅>

「蒸気機関車の形式?」
蒸気機関車の形式には8620(ハチロク)形・9600(キュウロク)形というように数字だけで呼ばれる形式のほかに、D51(デゴイチ)形・C62(シロクニ)形というようにアルファベットを組み合わせた形式で呼ばれる機関車があります。
これは当初、数字のみで形式を付けていくうちに9900形以降付ける番号が無くなってしまった為、昭和3年に当時の鉄道省が新しい形式番号を定めることとなりました。
まず、最初のアルファベットで動輪の数を示し、次の2桁の数字でタンク形(10〜49)とテンダ−形(50〜99)を区別させています。そして、3桁目以降の数字でその機関車の製造追い番号を表示させるようになりました。
尚、大井川鉄道の蒸気機関車を見てみると、「C108」、「C11227」、「C11312」、「C12164」、「C5644」という形式になっています。


お粗末さまでした。Back to Top

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