第10回 再会 〜名鉄モ520形〜


<はじめに>

かつて名鉄の揖斐・谷汲・岐阜市内の各路線で活躍していたモ520形。弟分でもある丸窓電車モ510形とコンビを組んで,岐阜市内に頻繁に姿を現していました。
新鋭のモ770形が登場するとそれに後を任せるかのように引退していった、当時は名鉄最古参の車両でした。
私がこの電車に最後に乗ったのは昭和56年8月。真夏の暑い日のことでした。
引退から,はや10年になろうかという今日。今回は,生涯を岐阜の街中で生きてきたモ520形の引退後の状況を御報告したいと思います。


建物の一部と化した520形たち


建物の一部と化してしまったモ520形の524号車(左側)と525号車(中央と右側)。<97-03-29静岡市内にて>


<モ520形について>

大正12年12月、日本車輌製。
もとは旧美濃電気軌道のBD505形として登場しました。製造当初は木造車両でしたが、のちに車体に鋼板を張り合わせた半鋼製車となっています。
昭和42年に、岐阜市内線と揖斐・谷汲線が直通運転を行うにあたって、モ510形とともに揖斐線直通急行車両となり,車内もロングシ−トからオ−ル転換クロスシ−トに変更されています。
揖斐線・谷汲線内では,モ510形と併結して510形の制御車となり、岐阜市内線に入ると510形から切り離され,自力で単行運転をする運用になっていましたが、昭和50年からは岐阜市内線でも併結運転されるようになりました。
モ520形において特筆すべきことは、併結相手のモ510形がHL車であることから、下り側(黒野方)の運転台に2種類のマスコンハンドルが装備されていたことで、ひとつは制御車としてのHL用小型マスコン,もうひとつは自車用の大型ドラムコントロ−ラ−が備えられていました。
このような,非常に特徴のある車両ではありましたが、昭和62年に登場した新型車両モ770形の登場によって全車両が廃車されてしまいました。


物置として使われているような526号車


526号車は車体そのものは健在のようです。どうやら物置として使用されているようです。赤一色の塗装も当時のままですが、腐蝕防止のためかパンタグラフ,屋根,足回りは黒の塗装が施されていました。<97-03-29静岡市内にて>


526号車の全容を眺める


526号車を横から眺めます。この写真からは判り難いのですが、520形の特徴でもあった2種類のマスコンハンドルもそのまま残っていました。<97-03-29静岡市内にて>


<偶然の再会>

私がこの静岡の地でモ520形を見つけたのは実に偶発的なことでした。
今から2年程前,大井川鉄道に乗車した後,井川駅前から静岡行きのバスに乗っていて,偶然にこのモ520形の車体を見かけたのが発端でした。
「あれは,520形!? どうして、こんなところに???」。それ以降、書籍や地図、地元静岡県の電話帳を使って、モ520形の居所をようやく突き止めることが出来ました。
書籍の情報によれば、モ520形の524〜526号車が,静岡市内の某レストランで保存されているとのことでした。
大粒の雨が降る日に私は静岡駅に乗り込み、駅前から運行されている地元の路線バスに飛び乗りました。バスに揺られること,およそ20分で目的地に到着。
バス停から150メ−トル程歩いたところに目的のレストランがありました。そのレストランの駐車場の奥に目をやると、そこには526号車の姿が!!腐蝕防止のためか屋根や足回りが黒く塗装されているのを除けば、ほぼ当時のままの姿で残っているではありませんか。
526号車は物置に使われているようでしたが、車体の赤一色塗装や運転台の2種類のマスコンハンドルも健在で、実に16年振りの再会でしたが、当時の光景が昨日の事のように思い出されました。
しかし、その一方で524号車と525号車は解体されいて、車端部のみがレストランの建物の一部として使われておりました。思い出多い車両だけに,このような形で残されるのはちょっと寂しさをも感じるのでした。
ひととおり撮影を済ませ、久々の再会を満喫して、私は激しく振りしきる雨の中、帰りのバスに乗るため停留所へと向かいました。


お粗末さまでした。Back to Top !!

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